猫も杓子もアメリカ生活

アキレス腱断裂後の療養・経過のすべて。そして今・・・・の巻。

今日もとてもいいお天気。
ポートランド(厳密にはここはワシントン州バンクーバー)の夏もいよいよ残り少なく、もうすぐ雨期がやってくる。
いまのうちに日光を浴びるべく、外へお散歩。
・・・といってもアパートの敷地をぶらぶらあるいてジムへ行くだけ。
フィジカルセラピーの先生にはもうちょっと歩くように言われているのだけれど。
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アパートの敷地内からみた青い空。

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ジムに到着。贅沢なことに今日も誰もいない。
テレビを好きなチャンネルにあわせ、扇風機を自分に向け、手に届くところにチャンネル・水・I-POD・タオルを置き、バイクの時間設定。
(飽きないように自分なりの準備。)

先生から与えられたエクササイズをこなす。
これはこの間、支給されたゴムチューブと課題を書いた紙。
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ちなみにこれは両足靴を履いて歩いてよくなったときに支給された靴の中敷き。
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どうやら私は、かかとと足首の角度のせいで、いつもアキレス腱の内側に負担がかかる歩き方なのだと先生は説明してくれた。普通より断裂が起こりやすいそうだ。
だから、内側を少し高めに保てるしっかりした中敷きを敷くいいということでくれた物だ。
気をつけなければまた起こりえるぞ、と。
さらに先生は断裂したほうのかかとには、特別な加工をして更に高くしてくれた。

と、ここで今までの経過の説明を致しましょう。
今日の記事は長いですよ。忙しい方は今度また見てちょ。

さて、振り返ること、あれは5月。
半年にも及ぶ長い雨期が終わり、待ちに待った初夏を楽しむべく、3連休をBendのリゾートへ。
なまった身体を呼び起こそうとゴルフにテニスに大張り切り。
その時だったのだ。私の今年の夏のプランをすべて変えてしまう出来事が起こったのは。

5月25日 
午前中ゴルフ18ホールしたあと、夕方テニスを約一時間。
その、テニスの最中、主人とのゲームがいよいよ佳境になってきたときだった。普通に後ろ向きに走っていたら、突然バチン!という大きな音ともに足首に衝撃。
立っていられずコロンと尻餅。
その瞬間はてっきり誰かが私の足首にボールを思い切りぶつけたか、縄跳びみたいなものでビシッと打たれたかのような痛みだったので、「はあっ?!」と、怒りとともに振り返る・・・が誰もいない。
その瞬間、「あ・・・やってしまったようだ・・・」と、悟る。
主人に支えられかろうじて立ち上がったが、自分の足では無いような感覚。
ぷら~ん・・・みたいな。
      
自宅から約3時間半の所なので、とりあえず何かで固定して様子を見ようと思ったが、主人が緊急の病院を調べてくれ、車でERへ。
ケンケンしながらERに着くとすぐに係員が車いすを持ってきて座らせてくれた。
受付後車いすで処置室へ。ドラマでみたERを思いだし不謹慎だがワクワク。
この対応の素早さと、看護師の感じの良い対応は感動的だった。
こんな時に限って保険証を持っていなかったが、大丈夫だった。請求書があとからおくられてくるとのこと。(それもちょっと怖いが・・・。)
検査はレントゲンとかは無しで、触診と私の状況説明でアキレス腱断裂と判断。
自宅に帰ったらなるべく早く地元の病院へ行くように言われる。
添え木をしてもらい、松葉杖と痛み止めをもらってホテルへ帰る。
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5月26日 
残念だが午前中にBendをはなれ帰宅へ。
せっかくの旅行中、悔しいので、途中カジノへ寄り運試し。250ドル勝ち。
帰宅しても今日は祝日なので病院へは行かず。
おそらくしばらく動けないので、食料大量買い出し。

5月27日 
家の近所の病院へ行ったら、ここは専門医がいないので別へ行けと言われた。
本当はホームドクターを持っていれば紹介してもらえるはずだが、病院などにかからないよう気をつけていた私は、契約していなかったので、冷たくあしらわれる。
こんな姿なのに・・・。とてもやな感じだった。ちっ!

結局市内の緊急病院へ行き診察してもらう。(ここは誰でも受け入れてもらえる)
ここのERも素早い対応で受け付けも親切だった。
で、やはりアキレス腱断裂に間違いないとの判断だったが、ここも専門医がいないとのこと。
しかし、ここでは違うところの専門医を紹介してくれ、英語の電話が苦手な私に代わって予約もいれてくれた。親切に地図もPCで出してくれた。

その日の午後、ポートランドにあるバスケットボールのスタジアムと同じ敷地内のスポーツ専門のクリニックへ。
おそらくプロバスケットボール選手がたくさん来ているのだろう。なんか安心感だ。

ここでもレントゲンとかは無し。またもや触診と私の怪しい英語の説明のみ。
アキレス腱は部分的ではなく完全に切れているとのこと。
ドクターは二つの選択肢をくれた。
ギブスで時間をかけての自然治癒か、再発しにくい手術か。
早くゴルフが出来る身体に戻りたいので、怖いけれど手術を選択。

5月28日
手術。
前の晩から何も食べてはいけないとは言われていたが、まさか全身麻酔とは。
日帰りなので、てっきり部分麻酔かと思っていた私は甘かった。

たくさんの書類にサインをし、点滴などつながれ、4時半ごろ手術開始。6時半頃終了。
ぼーっと目が覚め、水やら流動食などを寝ながら与えられ、しばらく休む。
痛み止めを飲み、看護婦からこれからの注意事項を聞き、ぼーっとした頭でまたいろいろな書類にサインをする。(主人が一緒にいたので安心だったが。)

8時過ぎ病院をでて、もらった処方箋の薬を買いにドラッグストアへ。
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痛くなったら一錠飲んで、治まらなかったらもう一錠と言われたこの薬。
かなりきついようで、すぐ眠気がおそい、空腹なはずだが何も食べられず就寝。
しかし、高熱と頭痛と足の痛みと吐き気で一時間おきに目覚める。汗だく。

5月29日

主人は心配しながらも、普通どおり会社へ。
私は一日中、38度前後の熱で起き上がれず、尋常ではない頭痛と手術した足の痛みに苦しんだ。
主人が枕元においていってくれた水やジュースは少し飲んだ。が、まる二日ちかく、ほとんど何も食べていなかったので、さすがに何か食べなくてはと思い、這ってキッチンへ行き、おかゆを作ったが、二口でもういっぱい。
熱が101°F(38.3度)になったら病院に連絡しろと昨日看護婦さんに言われたが
こんなぼーっとした状態で英語の電話など出来るはずもなく、ただ耐える。
次に痛み止めを飲んでいいのは、何時間おきだっけ・・・と考えるが思い出せず、念のため夕方まで我慢。
何が原因でこんなに辛いのか不安の渦。
手術から24時間後の夕方7時頃、通常の(いつも飲んでいる)頭痛薬を飲む。
しばらくすると頭痛が治まり、昼に作ったおかゆを食べる。
急に食欲が回復したので、続いて豚汁を作る。
主人8時半頃帰宅。一緒に豚汁食べる。

5月30日
打って変わって痛みもなく、すっきりした気分。
ふと、学校の事を思い出し、しばらく休む旨、Hさんに連絡。学校に言ってくれるようお願い。
夕方、近所に住む仲良しの奥さん友達Yさんから用事で電話があり、私のこの状況を話すとびっくりしていた。

このご近所の友達Yさんは、その日から毎日毎日約2週間、晩ご飯のおかずの差し入れを持ってきてくれた。主婦が病気や怪我をして一番困るの食事の準備。この気遣いは私はきっと一生忘れられない。
他の近所の方も何かできることは遠慮無く言ってね!と温かく励ましてくれた。本当にこういうときは人のありがたみが沁みてくる。

6月10日(手術後約2週間経過)
手術後初めての病院。抜糸した。
黒い糸で15針縫われており、なかなかすごいルックスだった。写真を撮っておけば良かった。
この日から石膏の添え木ではなく、ものすごく堅いプラスチックみたいなギプスを巻かれた。
色の選択肢が6・7種類あってずいぶん迷った結果、紫色を選んだ。
なんか高貴な色のイメージというか厄除けになりそうだったので選んだのだが、強烈な色なので、後からいろいろな人に「なんでこの色?」と聞かれた。
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でも、色はともかくとして石膏の物よりずいぶん軽く丈夫なので、気に入った。
注意事項は左足(怪我した方)に重心をかけないようにすること。まだ松葉杖は続行。

このころよく近所の奥様IさんやYさんが気晴らしにドライブとかランチとか連れて行ってくれた。
ありがとうございました。
学校の友達Hさんも、遠いのに本やらお菓子やら持って様子を見に来てくれた。
鬱々としがちな私にはとても楽しい時間でした。

7月1日(手術後約5週目)
手術後2度目の病院。ギプス生活終了。
しかし黒くてごつい、金属入りのブーツを履かされる。寝るときだけは外して良いということで少し気が楽になる。

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ちなみにこの日まで1ヶ月近いギプス生活、ギプスの中がかゆくてかゆくて、物差しを差し込んでゴリゴリやっておりました。やっと洗えるのだ!
うれしさとともにギプスの中の垢だらけの足を見る恐怖。

ギプスをカットする所には、いくつもベッドが置かれていて、何人もの人がガーッとやられていました。
たまたま私の隣にいた人が大きな犬を2匹連れてきていて、異様なにおいを放っていた。
・・・・が、犬が帰っても異様なにおいがしている。・・・まてよ・・・。
あー、ちがう。ギプスをとって今拭いているこの私の足がにおいを放っていたのだ。
すっかり犬のせいにしてしまっていた。ごめんよお。

それと、この日からとうとう松葉杖無しで歩行。ちょっと頼りないが、左足をかばいながら斜めになって歩く。

7月7日医者に紹介してもらった、フィジカルセラピーに行く。いわゆるリハビリ。
今後の機能回復に向けての注意事項と説明を受ける。

毎日自宅でやることは、傷の部分のくるくるマッサージや少しずつ固まった筋肉を伸ばしていくストレッチと左足だけで立ってバランスを保つ運動。そしてジムでのバイク20分。

週3回フィジカルセラピーの先生にあう。

その後回復にあわせて少しずつ足全体の筋肉をつけるようなエクササイズが増える。
おもりをつけて足を上げ下げするのとか、ジムのマシンを使った屈伸運動とか。

7月28日(手術後2ヶ月経過)
今日から金属入りブーツともおさらば。
両足靴を履ける喜び!

8月1日
手術後3回目の病院。
経過は大変良好とのこと。
でもまだ絶対に走らない、ジャンプしない。これを今やると、また切れるかもよ・・と注意される。

フィジカルセラピーの先生にも経過はVery Goodだといわれ、毎回新しいエクササイズを与えられる。このころは週2日セラピーへ。あとは毎日自主トレ。

8月半ば(手術後2ヶ月半経過)
久々の旅行。カナダのバンフへ。
山道を歩く事になるので、セラピーの先生に注意事項を聞く。
先生曰く、まだアキレス腱をのばすことは出来ないので平らな所しかあるくなと。
坂道はせいぜい4°までだと、ウオーキングマシーンの角度を変えながら「このぐらいの傾斜だ。」とおしえてくれた。
しかし実際はそうはいかないので、現地ではテーピングを巻いたりして十分気をつけながら遊んだ。
帰ってきてから先生にそういうと、そうだと思ったよ。と笑いながら慎重に検査してくれた。

そして現在。(手術後約3ヶ月半経過)
フィジカルセラピーには2週間に一回でいいとなった。
とたんに怠け者になりなかなか自主トレも出来ていない。

あのギプスの日々は毎日家の中を這い回って、料理するときも掃除する時も片足立ちでやっていた。片足一本使えないだけでこんなに何をするにも不自由なのか、と、毎日泣きそうになっていた。今後、身体が不自由な人が周りにいたら絶対気遣ってあげられる私でありたいと思った。
まずはとにかく早く回復したくて、ギプスがとれたあとも忠実にリハビリをやっていたが、
アホな私はのど元過ぎれば簡単に熱さ忘れる・・・・。

健康でいられることのありがたさを忘れないようにしなければ。
人のありがたみも。
この記事を書いていて再び思い出しました。

そうそう、アメリカ人というのは身体の不自由な人やお年寄り、子供にはとてもやさしい。
私が松葉杖で歩いているときもスッと道を空けてくれたりドアを開けて押さえててくれたり。
いつでも誰もが普通に温かい思いやりを見せてくれた。この辺は特にそうなのかなあ。
その反面、アジア人はそのへんちょっとにぶいのかなあ。松葉杖でスーパーマーケットに行ったときとか、よく、ドンとぶつかって抜かしていったり、前に立ちふさがったり、自分の事しか見えていないひとはたいていアジア人。どこの国とはいえないが、余裕がないんだな。
あと、おもしろかったのは一日に一度は必ず見ず知らずのアメリカ人に、「その足どうしたの?」とか「いやあ、私もこの間までそういうブーツをつけていたんだよお。」とか知らない人がいろいろ話しかけてくる。何度説明したことか。おかげさまで「アキレス腱を切りました」という英語はバッチシだ。

すっかり長い記事になってしまいました。
ここまでつきあって読んでくれた方、お疲れ様です。すみません。

もしも同じ境遇になってしまった方、質問があればコメントでも書いてください。
では。


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by yumi_nyago | 2008-09-12 08:33 | アキレス腱断裂療養記
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アメリカ駐在会社員の妻が日々格闘する、はちゃめちゃライフ
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